おうたの練習日誌

2001年9月20日更新

日頃の練習のメモを取ることにしました。 いつ頃どんな練習をしたかを後で思い出すための忘備録です。 曲の解釈や練習のあり方なども、時たま書くかもしれません。 いずれにせよ、私の「うたに対する想い」がにじみ出ることは間違いないでしょう。



2001年9月30日


2001年9月29日

コンクールが間近に迫ってきたというのもあって、練習時間の前に時間程度、 男声の


2001年9月22日


2001年9月16日

今回テナーは私だけの出席だった。 前回Topを歌ったが、本来の2ndを初見歌詞付けで挑む。 と格好よく書いてみたものの、実態は、1ヶ月たつとすっかり忘れていたという感じで悪戦苦闘だった。 特に前半は和音がつかめず、入りの音がチンプンカンプン状態である。 まずは、どんな音が鳴るはずなのかを感じることが重要である。

後半は何とか勘を取り戻してきた感じだ。 同じパターンの繰り返しというのもあって、 まともに歌えるようになってきた。

11月の第2週にステージがあるというが、 練習はあと1回、と思っていたら、さすがに苦しいということで、 10月末にもう一日の練習が追加された。 私自身はOB会があって無理だなあ。 いずれにせよ、数少ない練習なので大変なのは変わりがないな。


2001年9月15日

正規の練習時間の前に、平田先生のところで男声の特別練習がある。 見る見るうちに声が変わっていくのがわかるのが面白くて、 楽しみにしているのだが、今日は前半に間に合わなかった。 歌の練習よりも取っ掛かりのボイストレーニングのところが重要なのに…。 もちろん、後半の歌の練習も発見があって面白いのは確かですが。

さて、通常練習の前半は星の話しである。 歌い方もさることながら、「声の出し方」に焦点を当てて練習が進められた。 全体的に声が響かずにもやがかかった感じになっているという。 のどを開いて響きを前にだす。 声が響くようになってくると、和音も整ってくるように感じられた。 小手先の小細工よりは基本が大事だということだ。

後半はPiena sorgeva la lunaを中心に練習をする。 テナーとバリトンの出がすべてを決定するといっても良いだろう。 何度かやっているうちに少しは自然に歌えるようになってきたか。 そこそこ歌えるレベルから、一段上ステップアップするのが難しいな。


2001年9月9日

平田先生のお祝いの会。 先生の人柄をそのまま表現したような、ほのぼのと素晴らしいパーティだった。 そこに出席できたことを嬉しく思った。


2001年9月8日

鈴木成夫先生のレッスン。 最初の1時間は発声練習となった。 上半身やのど・舌から力を抜くことを主眼に身体を動かしながらの発声となる。 力を抜くということよりは、その辺に妙なことをさせないように、 色々な手法を使って声を出していく。

1時間後には、それなりに力の取れた前にひびく発声に変わってきていた。 これが持続できるか、それとも元の木阿弥になるかはこれからの練習次第ということだろう。

後半は曲を使った練習となる。 星の話しをまずは歌ってみる。 譜読みが終わった状態ではあるが、それとなく歌えるところははもーるの実力でしょうか。 時間がないので、曲の構成の話が中心であった。

出だしはベースの音が変わらないところがポイント。 和音変化に関わらずbを持続することで緊張感を演出する。 あくまでもピアニシモ。 でこぼこしてはいけない。 夜の静寂さだから、ピアニシモであるべきだ。 2小節目のcresc.で一段階音量が増え、4小節終わりにはさらにもう一段。 その後dim.でピアニシモへ。 さらに2小節をcresc. dim.。 ここまでがA。

8小節からがA'となり、一段ずつAよりは大き目の音量で表現する。 夜の静寂から少しは何かの動きを感じるように。

15小節からは別のテーマが始まり、Bとなる。 アの母音はゴージャスな星の輝き、それを見つめる人間をテナーの旋律が表現する。 旋律が女声に移ると、人間からの視点へと移動する。

24小節からはA''。 フレーズは徐々に短くなり、それが遠近感の変化を表現している。

以上が曲のイメージである。 こうした表現ができるかがこの一ヶ月のポイントだろう。

Pizzettiの方は最初の2ページで時間切れ。 イタリア語の語感がないとの厳しい指摘であった。 色々と課題は多いな。


2001年9月1日

第22回コンサート当日である。 まずは発声練習。 ボイストレーナの林先生の指導のもと、声慣らしのレベルからはじまる。 4時間半後の本番にしっかりと声が出るように、身体をしっかり使うことを指導される。

ステージでのゲネプロは、曲を一通りさらう。 今ひとつ声の出がよろしくないのは私だけだろうか。 まあ、ここで無理をしては元も子もない。 声を会場になじませれば良いのだ。 時間はあっという間に経って、ゲネプロは終了した。

休憩時間を利用して夕食を取る。 文化ホールの近くのもっこすラーメンへ。 実は21年ぶりのもっこすラーメンだった。 当時高校生の私は、兵庫県合唱祭の昼食をここで取ったのだった。 山のようなねぎ、チャーシューなど、変わらないラーメンに感動した。

ラーメンで身体も十分に温まり、いよいよ本番のステージのコンディションも整ったといえよう。

コンサートのプログラムは2001年に歌った曲を見ていただくとして、 はもーるでのコンサートで一番気持ちよく歌えたといえよう。 入場者数も776名とはもーるの文化ホール記録を大幅更新したそうで、 色々な意味で良いコンサートだったようだ。 名古屋からはるばる聞きにきてくださったH、Fのお二人、神戸のOさん、会社のKさんありがとうございます。 もう一人のKさんには会えなかったけれど、聞いていただけたかな?

レセプションは30分遅れで開始。 上に書いたように良いコンサートのあとの打ち上げは盛り上がり、 お開きは23時を過ぎていたのだった。 今回は家族が聞きにきていたので、徹夜二次会には参加せず、 健全に帰宅した。 いやあ、気分の良い一日の終わりだ。 足腰が痛いのを除けば(しっかり身体を使って歌っていたということね)。


2001年8月25日

ゲネプロ。 コンサートの曲を一通りさらう。 何とか演奏会レベルには高まっただろうか。


2001年8月19日

何度かトラでステージに立った合唱団La・Lu・Laの練習に初参加。 なかなかマニアックな曲の譜読みをしていた。 どうやら、11月のステージにたつことが決まったらしい(^_^)。


2001年8月18日


2001年8月12日

合宿二日目。 N{a:}nieの練習は、東京から来られた鈴木成夫さんの指導を仰いだ。 合唱界で有名な鈴木先生も平田先生の教え子だとか。 平田先生はやはり偉大な先生だ。

練習はなかなかエキサイティングで、みるみるうちに雰囲気が変わっていくのがわかる。 たまには外部の先生の指導を受けるのもいいことだ。


2001年8月11日

合宿初日。 水のいのちは疲れる曲だね(^_^;)。


2001年8月4日

高校を訪問。 今日は自由曲を中心に練習。 男声はまだまだ課題が多い。

とんぼ返りではもーるの練習。 Roger Wagnerの曲は淡路で歌っていないものがまだまだ。 残る練習は合宿のみというのはつらいかな。


2001年7月28日

コンクールの選択曲を決めるために星の話しを歌ってみる。 譜読みが難航するとの予想を裏切り、1時間弱である程度の形になってしまった。 歌い手の反応も良く、話し合いの結果、これを選択することに仮決定した。 さて、これを歌うことになるか、パレストリーナになるか。

後半はPiena sorgeva la lunaを歌う。 Pizzettiのうち、こちらはちょっと練習量が少ないので出来上がりが悪い。 まだ歌詞が身についていない感がある。 みっちり歌ったので、少しはましになったか。 次回に後戻りしていないことを祈ろう。


2001年7月22日

淡路音楽祭に招待されて、40分間のステージ。 まるで22回コンサートのダイジェスト版である。

会場のしづかホールはとても歌いやすいホールで、 我々の実力以上の演奏になったのではないか。 とにかく気持ちよく歌わせてもらった。


2001年7月21日

明日の淡路音楽祭のリハーサル。 一通りさらった。


2001年7月14日

高校訪問。 コンクール曲をちょっと指導。


2001年7月7日


2001年6月30日

二週間前の復習である。 ドイツ語の曲には慣れが少ないのであろう、やっぱりリセットされてしまっているところもある。 特に、長いフレーズの始まりの冒頭の部分が響きは落ちてしまうし、 フレーズは続かない。 Sopranoとしてはやや低めの音域であるのも影響を及ぼしているのであろう。 練習の中盤になって、ようやく記憶が戻ってきたのか、 発音の面でも音楽表現の面でも生き生きとした歌が出現したように思う。

アンコールに予定しているWiegenliedもさらっておく。 卒業研究のネタに使ったことを思い出しながら歌う。 美しい子守唄である。

淡路で歌う赤とんぼも練習しなくては。 テナーの音を二箇所修正する。 歌い手としてもそのほうが良いと思う。


2001年6月23日

色々な事情で何度か飛んでしまったロジェワーグナーの練習。 久しぶりに歌う気がするぞ。 今日は淡路合唱祭で歌うものを練習する。 My Old Kentucky homeは何度も歌っているので、なんとなく歌えている気になる。 でも、歌詞がきっちりと歌えていないし、その場になってようやく歌い方を思い出したりする。 身についていない感じである。 Old Folks at Homeもテンポがゆっくりなので歌えた気になる。 でも、ハーモニーを楽しんでいる余裕がないのはこれも同じ。 練習のしわ寄せがこのステージに来ているよなあ。 聞き手が良く知っている曲なので、あらがばれてしまいそう。

I Dream of Jeanieeの出は高音である。 注意深く歌わないとのど声になってしまうかも。 まあ、はもーるのテノールならそれほどの心配は要らないか。 ところどころのファルマータを忘れて、フライングしてしまいそうなのが気がかりだなあ。 感覚が身についてくれるだろうか。 Battle of Jerichoは歌詞がついていかない。 音も怪しいところがたくさんあって、勢いで歌っているのがバレバレである。 ちょっと予習復習をしなくては。

後半の練習は、久しぶりのPiena sorgeva la lunaだ。 今回の練習は思い出すことを重点的にやっているようだ。 1曲目との練習量の差は歴然である。 これからコンサートに向けて、エンジンをかけていかないといけないな。


2001年6月16日

大阪大学名誉教授の溝辺先生にドイツ語のご指導を受けた。 その昔、キャンパスでお見掛けしたような気がしないでもないが、 フランス語が第二外国語だったので、単なる記憶違いかもしれない。

昔話はどうでも良い。 Naenieの練習のメモを書いておこう。

最初に一節の重要な言葉はschoeneとsterbenであろう。 「美しいものは必ず滅びる」 この曲を通して流れるテーマをあらわす言葉でもある。 語頭の子音をしっかり響かせることで、ドイツ語特有の響きを得ることができる。 「鉄の」の意味のeherneの語頭のeはアクセントがついており、 イに近い発音となる。 Zeusはドイツ語読みですべきかどうか。 [tseus]でも良いのではないかということだった (調べたところ、[tsois]で良いようだ)。

第二節では、Schwelle(入り口)のw[v]が聞こえないと指摘された。 子音が多いとどうしても弱く発音されてしまうらしい。 [v]の響きが聞こえてくると、言葉が引き立つのは確かだ。

Eberの語頭もイに近く発音する。 geritztも語尾の子音も聞こえない。

第三節の頭のdolceでもshoenenが出てくる。この言葉は「美しい」という語感が表せるように気をつけること。 Eberの語頭のEはイに近い長母音。geritztの語尾の子音は2つ重なっているので注意して歌わないと聞こえない。 しっかり発音すること。

第四節からはmarcatoではあるが、Mutter(母)という言葉はやはり心配りがいる。 uはオに近い口の中を広くした発音である。 hebt an は分けて発音する。無理やりにする必要はないが、分離動詞のanはしっかりと聞こえないといけない。

第六節ではweinen(泣く)が大事な言葉。[v]は心配りがないと聞こえてこない。 alleは「アッレ」というと言い過ぎだが、[l]が重なっているとそう聞こえるはず。 dassは内容を表し、はっきりしたアで発音する。 kommeneのmeはそれほどはっきりとしたeにはならない。 ただし、高い音のところはそれなりにメと聞こえるように発音しても良い。 ようするに、響きが落ちてしまったらダメとのこと。 stirbtの語頭の[st](sは縦に長いs)も特徴的な響きが聞こえるはず。

第七節は最初のテーマが帰ってくる。 Mund[munt]の[mu]は深く柔らかく発音する。 そして herrlich は言葉の通り「すばらしく」発音する。 特に[r]が落ちやすいので注意して発音すること。

練習で指摘されたことをつらつらと書き連ねてきた。 音楽は聴くのは好きだが歌い方は良く知らないとおっしゃられていた溝辺先生。 いやいや、かなり鋭い指摘があったと思う。 言葉の面から入っていくのも音楽表現の上では重要だということを物語っているようだ。 特に外国語の曲はね。

さらに言うと、もっと意味を知って歌わないといけないなということ。 ちょっと反省だな。


2001年6月10日


2001年6月9日


2001年6月2日

練習が始まったときに、ベースは森田先生ただ一人だった。 発声練習が終わる時間になっても一人増えただけ。 ベースは二つに分かれるところがあるというのに、困ったものだ。 矢田先生の怒りが炸裂しないだろうか。 テノールはそれなりに人数がいるので、うれしがりの私がベースに回ることにする。

は所見でも何とかなる曲である。 それでも、指揮者の求める表情までついて行こうとすると、 それなりにレベルが要求される。 所見が利くと侮っていたら、たまに予想外の音の動きがあったりして、 周りに迷惑をかけたかもしれない。


2001年5月19日


2001年5月5日


2001年5月1日

豊高音楽部の練習にお邪魔する。 1年生は女声が8人、男声は兼部で数人が入部したらしい。 先生としては兼部ではなくて専任での部員を確保したいところで、 なんとかあたってみると言っておられた。

さて、時間をもらって、指導らしきことをやらしてもらったのであった。 前半は発声練習ということで、背中に息を入れるということとアエの母音の出し方を中心にやってみた。 私自身も十分できているのかどうかは疑問なのだが、 背中側にブレスを入れて、それを減らさないように声を出すことをやらせてみる。 今まで意識したことがなかったメンバーもいたり、 やらせてみると思ったよりできるメンバーもいたり、 やったことが声にそのまま影響することが面白かった。 違いを敢えてわかってもらうために、 わざとブレスを入れさせないで声を出すことをやる。 それを互いに聞いてみると、きちんとやっている時は声が良く出ていることがわかる寸法である。 何人かは声の違いに気づいたようで、こちらの言うことに頷いている。

30分ほど発声練習をした後、曲の練習に入った。 今日の曲は合唱祭の高校合同で歌うAlleluiaである。 指揮は長田高校の合田先生とのこと。 外国語の曲が苦手な生徒らは、外国語というだけで拒否反応を示しているようだった。

alleluiaのみの歌詞で、それを知らなかったとはいえ、 発声練習でやった母音練習がそのまま役に立つような曲であった。 全体練習だと能率が上がらないということで、 パート練習で譜読みに移る。 男声を引き続きみることに。 発声面を中心に練習を進めたので、時間切れとなってしまった。

練習後は、上田先生とちょっとお話。 高校のクラブの運営も大変そうだなあ。


2001年4月28日


2001年4月21日


2001年4月14日


2001年4月8日


2001年4月7日


2001年4月1日


2001年3月31日


2001年3月24日


2001年3月17日

を最初に歌ったのは、高校一年生の1月だった。 上級生が抜けて最初に練習した曲だったかも知れない。 テナーのパートソロのところが苦しかったのを覚えている。 久しぶりに練習してみると、名曲だということが良くわかる。

懐かしさにつられて練習日記というよりは、回顧談になってしまった。 とにかく、1日で5曲ともさらってしまおうというのだから、 細かいところははしょりながら、とにかくは通して歌ってみた。 メンバーは一通りは歌えるものだから、 指揮のH氏はちょっと練習がやりにくそうだ。

この曲のポイントは、ピアノの音量のままでいかに表現するかであろう。 何も考えずに歌っていると、すぐに音が大きくなるし、フレーズもブツ切れになってしまう。 高田氏の曲の特徴として、小節線の直前に言葉の始まりがあるのだが、 これを細心の注意で歌わないと、何ともヘンテコリンナ歌になってしまうのだ。 言葉のつけ方を直しながら2回通して次の曲に進む。

二曲目の水たまりは、実は初めて歌う曲である。 大学のときに水のいのちをやったときは、この曲だけ抜いてステージに乗せたのだ。 という訳で、初見で歌ったのだが、オフラインミーティングでトライした記憶はあったので、 それなりに歌えた気がする。 込み入ったところは、歌詞がついただけというところか。

休憩の後は三曲目のを歌う。 最初の8分の5拍子のところは、何も考えないと6拍子となってしまうので要注意。 高い音が続くので、ついフォルテになってしまうが、 そういう曲ではないのだな。 確かに激しい曲ではあるのだけれど。

は意外と簡単に感じた。 かつてはそうとう苦労した記憶はある。 決まりにくい和音がネックかもしれない。

そして、終曲の海よに一気とすすむ。 勢いで歌ったからか、最後に音を鳴らしてみると半音高くなっていたようだ。 調子は良かったからだろうか。 時間がなかったので、とにかく歌ったぞというレベルだ。 また合宿でしっかりやるから、今日のところはコレで良し。

久しぶりに歌ったけれど、名曲だということを再認識した。


2001年3月10日

楽譜のテンポ指示を意識した練習を行う。 四分音符が100と楽譜には書いてあるが、実際に歌ってみると若干速めである。 もう少し遅いほうが良いとは、指揮の森田先生の弁。 確かにそうだ。

後半は平田先生指揮、山内さんのピアノで引き続きN{a:}nieの練習となる。 音程としてはいまいち決まらず、ベースの人数が少ないのもあって欲求不満がたまった。 ベース諸君、ちゃんと出席しろ!


2001年3月3日

Piena sorgeva la lunaから練習のスタートとなる。 毎回練習に出ている私にとっては歌詞付けが済んでいるものという認識であったが、 先週に引き続きとはいえ、久々の練習では歌詞付け? というメンバーも多い。 ただ、pizzettiの和音に慣れてきているのか、音が決まってくるようになった。 それに連れて、歌詞も問題なく付いてきた。

後半はIl giadino di Afroditeを綿密に取り組む。 音楽の流れを中心にレガートと言葉のイメージの表現を重点的に練習する。 昨年のRecordareほど音は難しくないのだが、 それが却って表現の難しさにつながるのだから不思議なものだ。


2001年2月17日

昨年の11月以来の Piena sorgeva la luna の練習となった。 忘れていると思いきや、あっという間に譜読みが終わり、 歌詞付けまでも特に困難にも直面せず、すんなりと終わってしまった。 この辺の素早さははもーるの身上だろうか。 もっとも、ここからの仕上がり具合は遅々として進まないというのも身上かもしれないが(^_^;)。

後半はN{a:}nieの再現部の歌詞付けを行う。 初めはもごもごと歌っていたのだが、平田先生の熱情に引き出されるように、 知らないうちに音楽が出来上がっていく。 まあ、30パーセント位しか付いていけてないのが問題なのだが…。 パッションの部分で、歌い手からもっと熱いものが出てくれば、 ずいぶん変わっていくのかもしれない。


2001年2月11日

オルガンと合唱の出会い

会場
甲南女子学園 芦原講堂
指揮
松原千振 他

急遽出演ということで、ひととおり楽譜は眺めたという状態でゲネプロに参加する。 はもーる団長のH氏は職場関係の訃報にて急遽欠席となる。

さて練習はというと、Cantate Dominoの方は比較的譜面が簡単ということもあって、 初見に近い状態でもそれなりに歌える。 テナーの真中のパートが完全に欠落する部分があることがわかり、私と隣にいたS氏がそこに回ることになる。 何か泥縄的な気がしないでもない。 S氏も某合唱団の指揮者であり、適宜パートを移って歌うというのは、指揮者感覚のある証拠かもしれない。

Magnificatoの方はと言うと、変拍子と転調の嵐で行方不明になる部分が数多くあり、 本番の綱渡りが目に見えるようだ。 こんな状態で演奏しても良いのだろうか。 それでも2度ほど通しただけでゲネは終了。 本番前にちょっと練習しておこう(^_^;)。

14時に開演となり、会場の客席からステージへと登場するスタイルを取る、 サロンコンサート的なコンサートである。 演奏する曲はマニアックなものが並んでいるが、 司会と指揮者が簡単に曲紹介を行って、聴衆に息抜きをさせるというのも良い印象を与える。 オープニングは合同合唱でCantate Dominoを歌う。 先ほどの付け焼刃とは思えないきっちりとした演奏ができたような気がする。 和音が難しくない曲というのは、こういうときは安心して演奏できるものだ。

途中いくつかの演奏があって、あっという間にエンディングの合同演奏の時間となる。 司会者に促されて、再びステージに並ぶメンバーである。 さて、あの曲のできやいかに。

途中に演奏が停まることもなく、どこかのパートが落ちるでもなく、 それなりの演奏ができたような気がする。 うまく行ったのは本番の緊張感だけではないと思う。 ここまでひとつの演奏会を作り上げてきて、最後の合同演奏というのが一体感を生み出したから、 成功したように思うのである。 本番のステージでこの曲の良さが少しはわかったような気がする。 まあ、もう一度歌いたいかというと、そういうのではないのだが…。

今回のコンサートのトラ出演ですが、ホールの良さに出てよかったと思いましたね。 オルガンの響きも素晴らしかった。 JCAの兵庫県コンクールの会場として使われるのもわかる気がする。 こんな会場でコンクールができるというのは、今の中高生は幸せといえよう。


2001年2月10日

久しぶりの強化練習。 ここまでの譜読みのおさらいとの位置付けである。

まずは正式に決まったらしい フォスター・黒人霊歌関係の練習から。 どの曲もとっつきやすく、はもーるのメンバにとっては譜読みは朝飯前であろう。 実際、あっという間に歌詞付けまで進んでしまう。 ただ、こういう曲の練習はここからが試練の連続という気がする。 よく知られた曲をきっちりと歌うだけでなく さらりと良い雰囲気で歌うというのができるか、このレベルまで到達するのがきっと大変だ。 まあ、歌うのが楽しい曲だから、そこそこいくかもしれない。

Pizzettiは一月ぶりになるのだろうか。 その割には、語感も和音もこなれていたようなきがする。 少し置いて熟成したのかもしれない。

N{a:}nieもだいぶん身体に曲が入ってきたようだ。 ブラームスの重厚な作りに慣れてくると、じわじわと味わいが出てくるようだ。 学生時代に歌った世俗曲の和音を思い出すようなところも気づくようになった。


2001年2月3日

もうひとつのステージは、フォスター系になりそうである。 さっそくBattle of Jerichoの譜読みである。 はもーるのメンバには簡単すぎたのか、40分程度で歌詞付けのみならず、 ちょっとした表情付けまでできてしまった。 指揮者にも予想外だったような気がするぞ。

後半はN{a:}nie。 ブレス位置やフレージングを中心に練習する。


2001年1月27日

今日は一日ブラームスである。 平田先生の久しぶりの練習となった。 ドイツ語の発音を中心に、みっちりとした練習である。 言葉がついてくると、曲の雰囲気が少しづつわかるようになってきた。


2001年1月20日

残るひとステージが決まらない。 候補曲として、信長氏作曲の恋よぼくらふたりのを練習してみる。 昨年東京の大学合唱団で初演されたらしい。 平田先生の関係で紹介されたものらしい。

曲の雰囲気は学生が好きそうな感じの愛の歌である。 私自身は新しもの好きなので、やってみたいと思ったのだが、 はもーるの技術系は乗り気ではなさそうであった。 関西初演をすればいいのに…

後半はN{a:}nieを歌う。 前半の重苦しい雰囲気から開放されて(^_^;)、いつもよりきっちり歌えていたかな。


2001年1月13日

N{a:}nieの歌詞づけの開始である。 ドイツ語なので例によって手ごわい。 うまく口が回らないぞ。 ただ、フレーズ感は出やすくなる。 言葉のもつリズムが色合いそのものが音楽になっている証拠だろう。 邦人作曲家の作品の足りない点であろう。

最初のテーマのところはなんとか口は回るが、先に進むに従って、音と言葉の二重苦である。 それほど高い音がないので、まだ何とかいけてるかな。 B、Cの部分で前半の練習は終了となる。

休憩後、気分転換にSicut cervusを歌う。 今週もさらっと2回。 先週のほうが、よくハモったような気がするのは気のせいかなあ。

さらに、N{a:}nieの歌詞付けを続ける。 結局、Eまでの歌詞付けを終えたことになるか。 無理やり進めたということは置いておいて(^_^;)。


2001年1月6日

N{a:}nieから今年の練習は始まった。 長いフレーズを感じながら、途中で息切れしないように歌うこと。 特に長い音符を歌っている間に勢いがなくならないこと、それが重要である。

Sopranoから始まり、40小節までの長いクレッシェンドを感じる。 パートが加わっていくに従って少しずつ大きくなることを意識する。 最初に出るパートはかなり慎重にピアノで出ないといけない。

CからはBassから始まり、同様のフレーズ作り。 頂点は59小節。

Dに入ると、一転して柔らかい雰囲気になる。 71小節では、泣かせるような歌い方がようにしたいとのM氏。 104小節まで譜読みをして、前半の練習は終わり。

後半の練習の頭は、気分転換に(!)今年の選択曲のひとつの、Sicut cervusを歌ってみる。 もとのF durでは低すぎるので、短三度上げてみる。 さらっと2回歌うくらいの味見。 これをコンクールで歌うのかなあ。

後半のメインは、Il giadino di Afrodite。 久しぶりに歌うためか、メロメロの立ち上がりとなった。 年を越えて、すっかり忘れてしまっている。

まずは出の食いつきの練習。 何回か歌っているうちに、音程が定まってくる。 それにつれて、まともな音が鳴るようになってきた。 和音が決まってくると、メロメロがそれなりに聞こえてくる。 ようするに、和音感覚を忘れていたということか。

後半部分は、割ときちんとした音がなり、 少しずつではあるが、曲の雰囲気が見えてきたかな。



Kamimura Masatsugu (HOME: Akashi city, Hyogo)
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