これまでのうた遍歴

2021年3月23日更新




合唱をはじめたきっかけ

別にこれといってきっかけといったようなものはないけれど、小さい頃から歌が好きだった ことは確か。小学生の時には、学芸会(学習発表会って名前だったけど(^_^))で指揮をした こともあったっけ。そういえば、高学年のクラブは合唱クラブだったな。

合唱をやろうと意識するようになったのは、中学校で学級歌を合唱編曲したことになるのかな。 今から思えば、編曲には程遠い出来だったけど。

高校生の頃

本格的に歌いだしたのは、高校に入ってから。 音楽部でみっちりやるということは決めていた。中学のときも合唱をしたいという気持ちは あったのだけど、女声ばかりだったので入る機会がなかったというところだ。

同学年の新入部員は40人近くいただろうか。卒業する頃には20人位になったけど。

豊高では生徒が主体的に活動していたのが、その後の私の合唱生活の原点になったような 気がする。さらに一年のときに二年のパートリーダーが退部してしまって、合唱を始めた ばかりの私がパートリーダーをすることになった、そのことがあって、その後指揮者など をするようになったのだろう。

高校で歌った主な合唱曲をあげておこう。

大学生の頃

大学に入ってすぐ、サークルオリエンテーションといって、 クラブの紹介・勧誘の場がある。「とりあえず」大学でも歌おうと考えていた訳で、 その日のうちに入団することになる。

実はこの頃、一般の合唱団に参加して合唱を極めようと(^_^)思っていた。 それまでの「つなぎに」といった不純な部分が気持ちの上であった訳で、 当時の先輩の方々には「なんと図々しい新入生だろう」と思われていただろうし、 後日みんなに「そのような奴だった(^_^)」と言われたこともある。 高校時代の活動がすべてのような言動をしていたことも事実だった。 翌年にはサブ=パートリーダーをするというような話が出るようになった頃、 合唱団でずっとやっていきたいという気持ちにもなり、 生活の大半を占めるようにもなってきた。

すったもんだの末、2年のときにサブ=パートリーダとなり、 合唱の難しさを知るようになる。 自分の感じる音楽をパートの人々に伝えられない、声がうまく出ないなど、 悩みも多くなった。そのぶん、合唱の楽しさも強く感じるようになり、 指揮をしてみたいと強く思うようになったのだ。

阪大混声で指揮をするには、選挙で信任される必要がある。 「心臓に毛の生えていた」当時の心境では、 「信任されない筈はない」と思っていたし、結果として信任はされたのではあるが、 団内にも異論があったように聞いている。まあ他にはやれる奴もいないから仕方がない、 といった消去法でもあった訳で、たまたまその時にやりたがりが一人であったことが、 幸いしたという訳である。

副指揮者の時には「優しき歌」を振った。 練習の進め方で最大の試練の頃ではなかったかと、今更ながら思われる。 この時の試行錯誤が今の財産なんだと感じる事が多い。 この頃から合唱をする上で私を信頼してくれる人が増えてきたのかな、 と自分では思っているのだけれど、実際はどうなのだろうか。

4年の時には無謀にも正指揮者をすることになる。 何が無謀って、卒業研究と合唱団の技術的なトップになる訳で、 普通の感覚では時間的な両立は無理な状態であった。 卒業研究は、内容的にも納期的にもギリギリだったんだろうな。 まあ合唱団の人々の多大な協力のおかげであったといえよう(^_^)。

この時の選曲は三善晃の「小さな目」から何曲か。 副指揮者のときとは打って変わり、音楽的な面でも運営的な面でも、 かなり楽しむことができた。 演奏会では、自分でオーケストラ曲を編曲して企画ステージを作ってしまうという暴挙(^_^) にも出たりして……。 本当に楽しませてもらった。

大学で歌った主な合唱曲をあげておこう。

今まで活動した合唱団

兵庫県立豊岡高等学校音楽部

1979年4月から1982年3月まで。実際の活動期間は、1981年8月までともいえようか。 自分らで音楽を作っていくという活動スタイルが、 その後の合唱への取り組み姿勢に大きな影響を与えたといえる。
詳しい話は、高校生の頃を参照してね。 最近では、OBとして、たまに指導(^_^)に行っている。

大阪大学混声合唱団

1982年4月から1986年3月まで。 大学時代といえば、阪大混声と言い切ってもおかしくないほど、 どっぷり合唱に浸かっていた。 詳しい話は、大学生の頃を参照してね。

クールファミーユ

1987年7月から1988年7月まで。 大学の先輩の結婚式二次会の席で、別の先輩の誘いを受けて参加することになった 大学OB主体(当時)の合唱団。 サントリー=ホール小ホールでFaureのRequiemを歌ったのが印象に残っている。 現在でも東京に行った折、ごくたまに遊びに行ったりしている。

富士通川崎合唱団

1987年7月から1988年6月。出向中に寮に貼ってあったチラシで見学に行って、 そのまま1年間、毎週のように参加していた。

現在はなぜか「準団員」として、コンサートを聞きに行ったり、ときおり練習に出没している。

阪大混声OB歌会

1988年7月から1992年3月。 出向から帰った頃、大学時代の歌いたがりが毎月集まって歌っていた。 メンバーが忙しくなって休止中。 復活はあるのだろうか。

OB会総会の周辺や年末年始などででちょっと集まって歌ったりすることがあるかな。

モンテヴェルディ室内合唱団

1991年2月から1997年まで。 MonteverdiのVesproを歌おうということで好き者が集まった合唱団。 Monteverdiのマドリガルを中心に色々な曲を歌っている。 出向をきっかけに休団中(実質退団)。

その後、合唱団は解散した模様。

FCLA合唱団

第1回の活動は1991年だっただろうか。 かといって、合唱団の実体がある訳ではない。 NIFTY Serveというパソコン通信の音楽フォーラム−クラシック−の合唱好きが、 オフラインで集まって歌う(以下、オフという)ものを総称して「fcla合唱団」と呼んでいる。 1年に1回の合唱オフは、主に関西で行われ、1999年は7月4日に無事終了した。 近年はパソコン通信自体が衰退しており、合唱オフは開催されていない(と思われる)。 気になる方は、NIFTY会員であれば"GO FCLAP"してみては? 当時のアクティブメンバは、NIFTY以外の場でもON/OFF問わず出会うことが多い。

トヨタ自動車合唱部

1997年11月から1999年4月まで。 2度目の出向期間もまた、そこの合唱団に参加していた。 2度の定期演奏会をはじめ、コンクールや団内のコンサートも積極的に参加した。 OBとしてたまには顔を出すだろうな。

はもーるKOBE

1999年5月から。 10年以上も前から気になっていた合唱団で、明石に帰任したのを機会に参加することにした。 参加して2週間後に、ステージに乗り、それなりに歌えたかな。 1999年9月4日のコンサートにも出演した。参加して4ヶ月で4ステージフル出場は快挙カモ。 2002,3年の全日本コンクール出場を果たし、2003年には金賞を受賞した。 毎週の練習には欠かさず出かけている(筈)。

海外赴任をきっかけに休団。2014年帰任を機に復団。

合唱団La・Lu・La

2001年8月から。 トラで合唱祭に出てから、トラでいくつかのステージに出演。 2002年9月より練習にも行くようになった。

海外赴任をきっかけに休団。。

マニラグリークラブ

2007年11月から。 海外赴任を機に現地の合唱団に参加した。参加翌週末のイベントからオンステする。 2008年3月から2012年の3月まで指揮者を務め、各種イベントに多く出演する。 東南アジア各国の日本人男声合唱団交流会(アジア日本人男声合唱団合唱祭)にも参加している。

海外赴任が終了してからも、イベントの際に訪ねていってオンステしている。 2019年より、フィリピン在住の指揮者不在となったため、遠隔地ながら指揮者をしている。。

コール・マカデミア

転職後、東京に月一程度出張がある事をきっかけに、2016年11月にマニラ時代のメンバーを中心に合唱団を結成。 某メンバーのとりあえずやってみるという行動力のたまもの。団名は2017年1月から。 メンバーが歌いたいものをやってみるというコンセプトで活動している。 新鋭の南方隼紀さんとともに指揮者を努めている。

ハロハロ・シンガーズ

2017年4月から。 当初はマカデミアで男声合唱曲もと言うことだったが、2017年の初ステージに向けて姉妹団として独立。 マニラグリークラブのOB会という位置づけもあり、MGCのステージ曲と日本での選曲とを取り混ぜて活動している。 当初より指揮を担当。

アンサンブル・カサブランカ

2019年4月南方氏とともに男声合唱曲をやってみようとして発足。 マカデミアとメンバーの重複が多い。

男声合唱団魁

マニラ時代のメンバーが参加していた事で、2017年からイベントのたびにトラとしてオンステしていた。 2019年、指揮者の交代をきっかけに不参加となった。

Cantus Animae

2019年2月から。 横浜への転勤がきっかけではなく、2018年の全国大会で知り合いがここで歌っているのを知り、 平日の練習だったらはもーるとの両立ができると思ったのがきっかけ。

見学に行ったときは22回コンサートの直前で世間であまり歌われない合唱曲を取り上げられていた。 そして、コンサートの翌週から正式入団となった。表面的に音楽を捉えるのではなく、詩人や作曲者、 成立の背景にまで踏み込んだところにまで深掘りし、音楽表現するところがこの合唱団の魅力でしょう。

今までにうたった歌



Kamimura Masatsugu in Akashi city, Hyogo
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